大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和25年(オ)69号 判決 1952年8月23日

秋田県仙北郡清水村賢木字上大蔵一一七番地

上告人

寺田暁三

右訴訟代理人弁護士

阿部正一

同県同郡長信田村永代字沖台四番地

被上告人

高橋久右ヱ門

右当事者間の仮登記抹消登記手続履行請求事件について、仙台高等裁判所秋田支部が昭和二五年一月三一日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人阿部正一の上告理由第一点について。

記録を調べてみると原審における被上告人本人尋問調書中に「山林の引渡を受けるため」という文字の挿入あることは所論のとおりであるが、しかしこの挿入部分に関して「何行目何字訂正加入」という明記がないからとて、所論のようにこの部分を当然無効と解すべきではなく、その効力は裁判所が自由な心証によつて判断すべきものである。記録を見ると右の挿入部分については、該調書作成者裁判所書記官木村一郎名下の印影と同一のものと認められる訂正印が押捺されており、墨色、筆跡、前後の続き工合等から見て、権限のない第三者が事後ほしいままに挿入したものとは認められないから、これを無効と主張する所論は採用できない。

論旨はまた、山林売買の際には必ず売買に先立ちて目的物の「見聞」が行われるということが実験則であると主張しているが、目的物の検分と引渡しとが同時に行われたものと認定することを妨げるような実験則は存在しない。

要するに原審の引用する証拠によつて本件山林の引渡が行われたものと認定できないことはないのであるから、これを以て証拠に依らずして事実を認定したものであると非難する論旨はすべて理由がない。

同第二点について。

本件山林につき実地引渡しがあつたものとした原判決の事実認定に違法の点のないことは右に述べたとおりである。従つてこの点に関する所論(三)は結局原審の適法にした事実認定を非難するに帰し採用できない。

原判決は、右のように明らかに履行着手と解せられる事実に加えるに、所論(一)(二)(四)(五)のような「事実が存する限り、本件売買の売主たる被控訴人は契約の履行に着手したものといわなければならない」と判示しているだけであつて、所論各箇の事実をそれぞれ本件売買契約の履行着手と判断しているのではない。それ故原判決を目して「履行の着手と観ることの出来得ざる事実を履行の着手と認定し」た違法あるものと主張する論旨は理由がない。

よつて民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見を以て、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上登 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官本村善太郎は出張につき署名押印することができない。裁判長裁判官 井上登)

昭和二五年(オ)第六九号

上告人 寺田曉三

被上告人 高橋久右衛門

上告代理人阿部正一の上告理由

第一点

原判決は証拠に依らずして事実を認定したる違法ありて、到底破毀を免れさるものと信ず。

原判決に依れば本件係争の山林を上告人は高橋久右衛門を通し、昭和二拾三年八月八日実地引渡したるものなりと認定し、之が証拠として被上告人の弁論の全趣旨と被上告人の当事者訊問の結果を採用せるものの如くなるも、記録を精査せるも実地引渡したりとの供述は見当らず。

唯被上告人の供述中

「一、昭和二十三年の八月上旬頃、私は本件の山林の境界を定めるに行つたことがあります。それは私から寺田曉三に山林の引渡を受けるため山林の境界を教えて呉れることを頼みましたところ、寺田は病気で行かれないから前に持つていた人に教へて貰つたと云ふことでしたので、高橋久一といふ人に地面を書いて貰つて高橋久右衛門と云ふ人と一緒に行つて境界を見て来ました。」(記録二四丁)

とあり、此文面全体からの解釈よりは山林の引渡を受くる為めに必要があつて、境界を見に行つたこと即ち境界のみを見に行つたのであり、引渡を受くる為めとあるも其引渡しは何時引渡を受くる為めなりや其時直ちに引渡を受くる為めなりや、又後日日を更めて引渡を受くる為に行くのか判然せず、従つて更に進んで実地の引渡を受けたるものとは解釈することは出来ないのに拘らず、原判決は此の境界見聞を目して境界の確定は勿論目的物の引渡なりと解したるは違法なり。

殊に「山林の引渡を受けるため」と記載ある部分は何人か観ても文章作成後、文章作成者たる木村一郎の筆蹟と異なる字体にして、第三者に依て加入字せられたるものなることを想像することを得べく(作成者木村一郎は本来仙台高等裁判所勤務にして臨時出張の際立会ひたるものなることを想へば)鉛筆書の上にインクにて書き、其のインクの色彩も亦本文と異なり居ること明瞭にして、本文の如く之れ有ると否とにより判決の勝敗を決する重大事項を他人を以て加入せしむるが如きはあり得べからざることに属し裁判の公正を疑はしむるに充分なり、且公式文書の加除字は何行目何字訂正加入と明記の上捺印する必要あるに拘らず、之無く若し夫れ其記載部分が無効のものたらんか実地引渡を受けたりとの証拠は全然無く、反つて原審に於て措信はせざるが高橋久右衛門の第一審に於ける証言及被上告人の供述全体より観るときは、唯単に境界調査の為なることは右摘示部分及「一、山林の境界を決めたのは其後であります。」(記録二七丁)との供述及弁論の全趣旨よりするも、被上告人の主張せるは八月八日頃一辺丈け山林の境界を見に行つて居るに過ぎず、吾人の実験則に依れば山林売買の際は必らずや売買に先立て目的物の見聞が行はるるものなるに拘らず、被上告人の主張によるとこの目的の見聞が無き結果となり、夫れ自体理不尽の主張たるを免れさる結果となり、従つて被上告人の主張及原判決の認定は吾人の実験則に反し且証拠に依らずして事実を認定せる違法ありて到底破毀を免れさるものと信ず。

第二点

原判決は其理由中「(2) しかし成立に争いない乙第二号証(本件山林の登記済証)が控訴人の手裏に存する事実、当審控訴本人訊問の結果及び控訴人弁論の全趣旨を綜合すれば、被控訴人は本件売買契約の際控訴人に対し、本件売買に因る所有権移転登記手続に必要な登記済証(乙第二号証)を交付し、同年八月八日訴外高橋久右衛門をして控訴人に対し本件山林と隣地との境界を示させた上本件土地の実地を引渡し、控訴人は被控訴人との契約に従ひ本件山林の現場に伐り倒してあつた杉丸太四、五本を運搬製材し、且鈴木伝次郎に頼んで本件山林の山守をさせたものであることを認めることができる。」と判示し、本件売買契約は

(1) 乙第二号証交附の事実

(2) 境界を示させた事実

(3) 実地引渡の事実

(4) 杉丸太運材の事実

(5) 鈴木伝次郎を山守に依託の事実ありとして履行に着手せるものなりと認定せるものなるが

(一) 右(1)の乙第二号証の交附を以て履行の着手と看るは社会の実験法則に反し強牽附会のソシリを免れず、蓋し乙第二号証の登記済証が上告人より被上告人への本件山林売買事実を登記せる登記済証ならばいざ知らず、乙第二号証は上告人先代重三が訴外高橋兼松より上告人先代重三に於て大正九年二月二十六日代金六十円也を以て本件係争の山林を買受けたる事実を登記せる際の登記済証にして、所謂本件山林が上告人の所有に属することを証する一書面に過ぎず、上告人と被上告人との間に於て締結せられたる昭和二十三年七月三十一日本件係争山林売買の際、本件土地が上告人の所有なることの証明の一資料として、亦上告人は病身なる為め本件山林の境界を指示する為め現場に立会ふことを得さるに依り、被上告人が単身にて売買目的山林の境界線を調査確定する必要上旧所有者は何人なるか、亦其旧所有者に就て境界線を調査することは最も得策なりとの考慮よりして交附したるもの即ち目的物の境界線を確認の方法として交附したるものにして、原判決認定の如く登記手続履行の為めに交附したるものに非らさることは、若し夫れ原判決認定の如き趣旨の下に交附せんとせば、売買証、権利証、登記申請に要する委任状、売主の印鑑証明書竝に本件係争山林は当時上告人先代重三名義なりしを以て、之が相続登記申請に要する委任状、戸籍抄本等を交附せざるべからざることは自明の理ならんに拘らず、之等の書類を交附せざることを以てすれば乙第二号証の交附を以て契約の履行と解するは社会一般の実験法則に反する違法あり、殊に乙第二号証は夫れ自体のみを以てしては原判決が謂ふが如く所有権移転登記に必要のものに非らず。即ち上告人より被上告人に対する売買登記申請の権利証書として其の用を為さゞることは不動産登記法上明瞭のことに属す。蓋し上告人より被上告人へ売渡す場合の登記申請書に添付すべき所謂登記義務者の権利に関する書面なるものは乙第二号証に非らずして、上告人に於て先代重三よりの相続に因る所有権移転登記申請の場合の登記済の申請書副本が権利証となるものなればなり。従つて乙第二号証の交附を以て売買契約の履行の着手と認定せるは履行に不必要の行為即ち契約の履行と何等関係なき行為を為したる事実を認定の上履行の着手と看たるは違法なりと思料す。

(二) 又原判決は(2)の如く境界指示を以て履行の着手なりと認定せるも是亦実験則に反する違法の認定なり、蓋し原判決認定の如く仮りに境界線指示ありたりとするも境界線の指示は目的物の確定の為め売買契約の前提要件として指示せらるることは通常にして、境界線の指示を以て直ちに売買契約の履行と観るは当らざるものと信ず。

(三) (3)の実地の引渡の事実は全然無之ものにして(第一点に於て詳述せる通り)有之と認定せる原判決は、事実誤認の違法ありて到底破毀を免れざるものと信ず。

(四) (4)杉丸太運材の事実を以て原判決は履行に着手なりと認定せるも乙第一号証に依つて明瞭なるが如く、上告人と被上告人間に昭和二十三年七月三十一日締結せられたる売買契約は字金井伝沢十番山林二反五畝六歩の山林なる不動産を売買の容体とせる契約にして、原判決が謂ふが如き同番地上に伐採しある丸太即ち動産を容体とせる売買契約に非らず、従つて本件山林(不動産)を被上告人が買受けたる後立木を伐採したりと謂ふならば、履行の着手云々の問題も発生することあるべきも本件の如く不動産売買契約の履行として既に該売買の目的物より分離し、法律上別箇の財産となり居る動産を仮りに原判決認定の如く上告人と被上告人間に右不動産売買契約の際に之れが処分に就き契約が為されたるものとしても、夫れは本件不動産の売買契約の履行とはならさるものと信ずるのみならず、乙第一号の本件山林売買契約証には斯如趣旨の特約無く、且つ切倒されてあつたと称する杉丸太の存在は果して事実なるか否かは一に証拠に依つて認定せさるべからざるに拘らず、唯に被上告人(控訴人)代理人の主張と控訴人本人訊問の結果のみにより、之を認定せるは如何に証拠の採否に裁判官の自由なる信証とは謂へ被上告人の供述は採るに足らざるものなることは記録全般を精査するとき洵に明瞭なり。蓋し被上告人の主張する処に依れば代金三万五千円也を七月二十九日までに準備し、三十日に上告人に支払へく予定せるに三十日上告人の長男等に拒絶せられたるが故に、直ちに本件山林の仮処分仮登記を同日裁判所に赴き(記録二七丁)何等弁護士を代理人としてではなく、自分自身が申請を為し(記録三〇丁甲第四号証)同年九月一日之れが命令を得居り、又第一審答弁書(記録一三丁――一五丁)も自分自身の作成に係るものと思料せらるるが如く、田舍には珍らしく法律常識の発達せる被上告人が果して其主張の如く代金全額支払完了以前に目的物を処分する重大なる権能を附与せられたりとするならば乙第一号証に記載するのは常識的ならずや、仮りに乙第一号証に記載することの態裁を考慮したりとするならば別紙書面を以て記載し置くの必要あるものと思料すべきは理の当然なるのみならず、被上告人の供述によると「……高橋久右衛門といふ人と一緒に行つて境界を見て来ました。

一、此の時山に木が切倒してありました。それについて寺田曉三は山を全部渡して了つたのだから其の木も運んで良いと云ひました。」(記録二四丁裏)とありて、又

「一、此売買契約の履行期は同年の十一月三十日でした。」とあり、結局本件契約の履行期は昭和二十三年十一月三十日なるに拘らず、其以前に着手せる履行は当事者双方の為めに不利益なる履行であつてはならぬ。即ち其履行の着手は履行期に於て履行してこそ民法第五百五十七条第一項の履行の着手であり、本件の如く履行期前に於ける履行の着手は同法の履行の着手に包含せざるものと思料するに拘らず、之れに反する解釈を取りたる原判決は違法にして破毀を免れざるものと信ず。

(五) (5)の被上告人は鈴木伝次郎をして山守せしめたることは履行の着手なりと認定せるも、仮りに原判決認定の如く被上告人は鈴木伝次郎をして山守せしめたとしても前述の如く本件山林を上告人より被上告人へ未た実地に就て引渡したる事実無き以上、 は権利なくして為したる行為と謂ふべく何等法律上の効果発生せさるものと信ず。且山守云々は売買契約の履行とは何等関係なく売買契約が完全に履行されてこそ始めて第二次的に開始せらるる行為にして、是有ればとて本件売買契約の履行の着手なりと為すことを得ざるに不拘、原判決は漫然と之れを目して本件売買契約の履行の着手なりと認定せるは事実誤認の違法の判決にして到底破毀を免れざるものと信ず。

是要するに原判決の摘示せる履行の着手なりと認定せる事実は前述(3)の実地の引渡の点を除きては夫れ自体より

全部履行の着手と観ることの出来得ざる事実を履行の着手と認定し(3)の実地引渡の点は無根の事実を認定せると共に重大なる事実の誤認の違法の判決にして到底破毀を免れざるものと信ず。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例